大学病院に「主治医」はいないのね
2007年4月1日父の癌がわかって、治療が始まってからの1年半で、担当医が3回変わった。なんだかなぁ・・。
大学病院っていうのは長く病気と付き合ってゆかなくてはいけない患者にとっては、あまり良い場所とはいえないみたいだ。どういうシステムでこう移動が多いのかわからないけれど、幾つかある病院を1年足らずで移ってゆくようだ。最初の担当医は3年弱いたとかで看護師の話では「長くいた先生」ということだった。
患者の治療より治療者の教育に重点を置きがちだとはいうけれど、それにしてもどうなんだろう。
科ごとのチーム医療というけれど、やっぱり患者にとっての医療はマンツーマンであって欲しい。カルテが10センチ20センチになって引き継がれてもそれだけで判るものじゃない。
1年前、半年前、1週間前、昨日、そして今日の顔色に気付いてくれる医師に診て欲しい。
父の場合は標準治療の確立されている症例で、ほぼできることはやって成果も出ているので、今後は経過を注意深く診て行くという感じになる。それだけに「主治医」といえる医師がいてくれたら、と思うのだ。
クリニックでは小さすぎる。大学病院では大きすぎる。
その病の治療を得意とする医師がいて、すべての治療を行える規模の総合病院。たぶん、現在の日本の医療で一番経営が成り立っていかない規模なんだろうな。仮に、そんな理想的な病院が医師がいたとしても、通えるかどうかはわからないし。
病院を選ぶ時代、医者選ぶ時代というけど、実際は難しい。消去法でしか決められないし、結局は選んだとはいえなくなってしまう。
病気になると、待ったなしだから、結局のところ巡り会わせってことになってしまうのかな。
大学病院っていうのは長く病気と付き合ってゆかなくてはいけない患者にとっては、あまり良い場所とはいえないみたいだ。どういうシステムでこう移動が多いのかわからないけれど、幾つかある病院を1年足らずで移ってゆくようだ。最初の担当医は3年弱いたとかで看護師の話では「長くいた先生」ということだった。
患者の治療より治療者の教育に重点を置きがちだとはいうけれど、それにしてもどうなんだろう。
科ごとのチーム医療というけれど、やっぱり患者にとっての医療はマンツーマンであって欲しい。カルテが10センチ20センチになって引き継がれてもそれだけで判るものじゃない。
1年前、半年前、1週間前、昨日、そして今日の顔色に気付いてくれる医師に診て欲しい。
父の場合は標準治療の確立されている症例で、ほぼできることはやって成果も出ているので、今後は経過を注意深く診て行くという感じになる。それだけに「主治医」といえる医師がいてくれたら、と思うのだ。
クリニックでは小さすぎる。大学病院では大きすぎる。
その病の治療を得意とする医師がいて、すべての治療を行える規模の総合病院。たぶん、現在の日本の医療で一番経営が成り立っていかない規模なんだろうな。仮に、そんな理想的な病院が医師がいたとしても、通えるかどうかはわからないし。
病院を選ぶ時代、医者選ぶ時代というけど、実際は難しい。消去法でしか決められないし、結局は選んだとはいえなくなってしまう。
病気になると、待ったなしだから、結局のところ巡り会わせってことになってしまうのかな。
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