私は良い耳を持っていない。
歌うことはからっきしダメだし、聴くほうもいい加減なものだ。
だから、プリミティブな音楽に魅かれる。原初的な祈り、のようなもの。そこに声があればいい。楽器はあってもなくてもいい。あってもひとつかふたつでいい。声はひとりの声でもいいし、大勢の声でもいい。
最近よく聞くのが声明。要は読経なのだけれど、大勢の僧の鍛えられた声がいい。何人も何人もの声が幾重にも重なり絡み上昇したり雪崩落ちたり霧散したり沸き起こったり。怒涛のような理趣経の中曲は脳を痺れさせます。ラヴェルの「ボレロ」聴いてるみたい。
人に言うと「お経聞いてるの?」と変な顔されますが、いいものはいいの。グレゴリオ聖歌なんかも好き。
歌うことはからっきしダメだし、聴くほうもいい加減なものだ。
だから、プリミティブな音楽に魅かれる。原初的な祈り、のようなもの。そこに声があればいい。楽器はあってもなくてもいい。あってもひとつかふたつでいい。声はひとりの声でもいいし、大勢の声でもいい。
最近よく聞くのが声明。要は読経なのだけれど、大勢の僧の鍛えられた声がいい。何人も何人もの声が幾重にも重なり絡み上昇したり雪崩落ちたり霧散したり沸き起こったり。怒涛のような理趣経の中曲は脳を痺れさせます。ラヴェルの「ボレロ」聴いてるみたい。
人に言うと「お経聞いてるの?」と変な顔されますが、いいものはいいの。グレゴリオ聖歌なんかも好き。