ヴァージニア・ウルフをはじめて読む。なんで突然「ダロウェイ夫人」なんて読もうと思ったのかよくわからない。今風ではない文体のものが読みたいとは思ったのだけれど。

?ダロウェイ夫人は、私が花を買ってくるわ、と言った?
この冒頭の1行は、もしかしたらとても有名なのかもしれない。
昨年の春に映画「The Hours」を見て書いた私の日記のタイトルが「花は私が買う」で、空虚な想いを抱える3人の女達の行動の中でパーティの花を買いにN.Y.の街を歩くメリル・ストリープだけが澄んだ意識を持って動いているように見えたから、だったか。花は私が買う、これが主題なのかもしれない。ウルフの作品に無知な人間にそれを印象付けたのは、この監督の力なのだろう。

「ダロウェイ夫人」を読んでから、映画に描かれていたことどもをあらためて思い返す。セプティマス(リチャード)とは何者なのか?花とはなんなのか?慰めはどこに?などなどなどなど。空虚が埋められない女達。不安にかられて母親を呼ぶ幼い子供だけが、いまこのときを切実に生きているような気がした。もう、そんな風な時を生きるのは不可能かもしれない。などなど。

「The Hours」もなぜ見ようと思ったんだったっけな。「ダロウェイ夫人」は映画の中でヴァージニアが書いていた作品だったか。これもまた私にとっては「めぐり合う時間たち」。

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