富士山はどこまで見えるか?
2009年10月30日 日常 コメント (4)これ、ずっと書こう書こうと思っていたんでした。
富士山はどこまで見えるか・・なんて実は考えたこともなかった。
きんと晴れ渡った冬の朝、遠くに雪を被った富士を見ながら学校へ行く、仕事に向かうというのが普通の日常だったから。
「ふ~じはにっぽんいちのやま~」と歌にも謳われているわけだし、Nipponといえば「フジヤマ」だし、日本中の人たちが富士山を見ていると思っていた。
ん?ちょと待て?・・んなわけないやろ? と思ったのは去年の正月。リンク先のはちさんが西の人間には富士山に馴染みがないと書かれていて、それで初めて富士山って全国津々浦々でみられるんじゃないのね・・と、あまりにも当たり前なことにいまさら気付いたというお恥ずかしい話(笑)。
で。北は福島県、南は八丈島、西は和歌山県が可視確認できたところだそう。
27日だったか、新宿から富士山が見えたというのを季節のトピックスとしてニュースでやってて、それを見て「私、富士山って見たことがないんです」と今年東京で働き始めた岡山育ちのHさんが言っていた。
「えー見たことない??」とはもう驚きはしなかった(当たり前 笑)。でも、「冬の朝ならけっこう綺麗に見えるのよ。清々しい気がするよ?」なんてなぜか自慢気に話している私。私が富士山作ったわけでもあるまいに(笑)
でもね。東京に生まれ育った者の心象風景の中に富士山は当たり前にあって、やっぱりどこか神々しく美しく懐かしい山なのね。
たぶん東京の小中学校の校歌には「富士」という歌詞がかなりの確率で使われていると思う・・・あ、これも誰か調べてくれてないかしら?気になる・・・。
富士山はどこまで見えるか・・なんて実は考えたこともなかった。
きんと晴れ渡った冬の朝、遠くに雪を被った富士を見ながら学校へ行く、仕事に向かうというのが普通の日常だったから。
「ふ~じはにっぽんいちのやま~」と歌にも謳われているわけだし、Nipponといえば「フジヤマ」だし、日本中の人たちが富士山を見ていると思っていた。
ん?ちょと待て?・・んなわけないやろ? と思ったのは去年の正月。リンク先のはちさんが西の人間には富士山に馴染みがないと書かれていて、それで初めて富士山って全国津々浦々でみられるんじゃないのね・・と、あまりにも当たり前なことにいまさら気付いたというお恥ずかしい話(笑)。
で。北は福島県、南は八丈島、西は和歌山県が可視確認できたところだそう。
27日だったか、新宿から富士山が見えたというのを季節のトピックスとしてニュースでやってて、それを見て「私、富士山って見たことがないんです」と今年東京で働き始めた岡山育ちのHさんが言っていた。
「えー見たことない??」とはもう驚きはしなかった(当たり前 笑)。でも、「冬の朝ならけっこう綺麗に見えるのよ。清々しい気がするよ?」なんてなぜか自慢気に話している私。私が富士山作ったわけでもあるまいに(笑)
でもね。東京に生まれ育った者の心象風景の中に富士山は当たり前にあって、やっぱりどこか神々しく美しく懐かしい山なのね。
たぶん東京の小中学校の校歌には「富士」という歌詞がかなりの確率で使われていると思う・・・あ、これも誰か調べてくれてないかしら?気になる・・・。
コメント
朝起きて窓を開けて、富士山が見えると妙に嬉しい感じがするのは、不思議なものですね。
横浜は坂が多いので、あちこちで富士山が見えるらしく、「富士見荘」という名の(昭和の古い)アパートがそこかしこにある気がします。
それはやっぱり木造モルタル二階建てでなくてはなりませんよね(笑)
富士見台、富士見坂、地名にも富士見は多いですよね。やっぱりこの地名も福島以北、和歌山以西でなくなっていくんでしょうか・・。
この日記を読んだのが、ちょうど出張先の浜松で台風一過の晴天に富士山を見た直後だったので、ちょっとびっくり。でも、美藤さんもあの晴天の富士に触発されて日記を書いたのかなと勝手に想像し、勝手に納得。
さて、その晴天の富士を見た日、当地で会う人との挨拶は、今日は富士山がきれいに見えますねで、決まり!
そう、冬のきりりとした晴れた日にしか富士山が望めない浜松では、富士山が見えたことが話題に
それが、沼津出身の友人に聞いた話では、沼津では富士山が見えるのが当たり前なので、雲がかかって富士山が見えなくなることが話題になると
どちらの地でも富士山を話題にするのに、富士山からの距離によって捉え方が異なるのが面白い
沼津では日常の富士が、浜松では非日常の富士が
でも、やっぱり話題が富士なのがすばらしい
なんて、美藤さんの質問に答えてないけど、勝手にひたひたと
ちなみに、藤と富士が同音なのはたまたまですよね?
晴天に新幹線の窓から見る富士山って、なにかの冗談みたいですよねー。
あの威容は異様で異質、唐突ですもんね。
富士山はどこまで見えるかの疑問が転がって、いまは「薩摩おごじょは富士山の夢を見るか?」ってことです。初夢で「一富士、二鷹、三茄子」っていいますけど、鹿児島でもそうかしら?と。映像情報の行き渡った現代は別として、江戸時代なんか九州の方ではその表現はなかったかなー?とか。
あと、銭湯の壁の絵。関東では女湯男湯にまたがって富士山が聳えていて当たり前って感じですが、関西、九州のほうってどうなんでしょう、とか。ギモンは深まるばかりです。
富士山の文化誌・民俗誌的なことならたぶん幾らでも本になってそうだなと思ってWebcatで検索したらそれこそ山のように出てきましたが多すぎて・・(笑)。荒俣宏あたりが面白そうなの書いてくれてないかなーと思うんですが。