アルコールがまったくダメなので、アルコールが感情のどんな部分を、どんな風に増幅し歪曲し破裂させるのか、よく判らないけれども、酔っている姿というのは見ていてカナシクテカナシクテならない。若い頃はそんな風には感じなかったけれど。若いというのは、カナシミなんか吹き飛ばすエネルギーがあったんだろう。酔う人にも酔わずにそれを見ている人にも。40代になってから、人生を折り返してからは、酔う人をカナシク見てしまうばかりだ。救いは、酩酊している人が翌日そのカナシミを覚えていないことだけれど、見ていてカナシイ私はちっともナグサメられないので、翌日はヒヤヤカ3倍増で対応するしかない。

コメント

はち
2010年10月19日11:26

きっと悲しいのはくたびれた酔っぱらいのおじさんを見てるから?
若くて酔っても無意味に元気な若者を見てると、恥ずかしくはなるけど哀しくはならない
僕はくたびれたおじさんを見るのは哀しいので、そういう人との飲み会は断り続けてきた、そして今自分がくたびれたおじさんにならないように気をつけている、でもこれが結構難しいのだ
見当違いだったらごめんなさい

美藤
2010年10月19日21:54

クタビレテカナシイのか、カナシミデクタビレルのか。
どっちだろう。どっちもかな。

でも、クタビレてることがカナシイのじゃないの。
40越えたら誰もがちょっとクタビレてて、なんとはなくカナシかったりするのに、酔う人は自分だけがカワイソウの主役になっちゃてるのがね、なんともね、ちょっとね。
その過剰さがイタタマレナイ。
騒ぐな、静かにクタビレてカナシミをカミシメテおれ!と蹴っ飛ばしたくなる。とまあ、そんなとこかな。
見当違いなんかじゃありません。

はち
2010年10月20日11:00

大人になると心の襞を他人様に見せるのが恥ずかしくなるというか我慢するようになる
すべてを自我のなかに閉じ込めてしまう、だからこそどこかでガス抜きが必要になる
お酒を飲んでガス抜きができる人は幸せ者かもしれない、でもそれに付き合わされるのは溜まったもんじゃない、ましてやしらふで
そして、私はちゃんとガス抜きができてるのだろうかと自問してしまった

美藤
2010年10月20日18:15

そうかーお酒を飲んでガス抜きしてる人が羨ましいのかもしれないなー。
でも子供の頃から心の内を人に見せるのが(見せるどころか悟られるのさえ)苦手だったので、もし酔うことができる体質だったとしたら、酔って箍の外れた自分を翌日想像してそれはそれでかなりストレスかもしれません(笑)。
さて私はどうガス抜きしてるのだろう・・?やっぱり誰にもナイショのお一人様時間かな。小さく逃避することを自分に許して、あんまり遠い先のことを考えない。目標とか計画とか立てない。今日一日やり過ごせば、明日一日もなんとかなるだろう・・で一日一日。そうやってのろのろと進んでいる。
ガスを抜くというより、圧力かけないって感じでしょうか。気合を入れると圧力かかって危険だしね、と誤魔化す日々です。

はち
2010年10月21日17:44

カナシミ酒から話題は圧力のかけ方に
たしかに圧力の塩梅はむずかしいですね、とくに精神的な病気を患っている今の私にとって大問題です
あまりにも圧力のかからない日は机に向かってため息をつくばかり、圧力がかかり過ぎたら過ぎたでいつ落ちるかと不安に苛まされる
私の圧力調整弁はどこへ行ったのでしょう,誤魔化し方を早くにマスターせねば(笑

美藤
2010年10月22日22:30

私の場合、実生活では一見キチンとした人のように取繕って見せていますが、実はとってもフラチな人間なので、そのフラチさが調整弁の役目をしてくれてるのかも(笑)。

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