アルコールがまったくダメなので、アルコールが感情のどんな部分を、どんな風に増幅し歪曲し破裂させるのか、よく判らないけれども、酔っている姿というのは見ていてカナシクテカナシクテならない。若い頃はそんな風には感じなかったけれど。若いというのは、カナシミなんか吹き飛ばすエネルギーがあったんだろう。酔う人にも酔わずにそれを見ている人にも。40代になってから、人生を折り返してからは、酔う人をカナシク見てしまうばかりだ。救いは、酩酊している人が翌日そのカナシミを覚えていないことだけれど、見ていてカナシイ私はちっともナグサメられないので、翌日はヒヤヤカ3倍増で対応するしかない。
コメント
若くて酔っても無意味に元気な若者を見てると、恥ずかしくはなるけど哀しくはならない
僕はくたびれたおじさんを見るのは哀しいので、そういう人との飲み会は断り続けてきた、そして今自分がくたびれたおじさんにならないように気をつけている、でもこれが結構難しいのだ
見当違いだったらごめんなさい
どっちだろう。どっちもかな。
でも、クタビレてることがカナシイのじゃないの。
40越えたら誰もがちょっとクタビレてて、なんとはなくカナシかったりするのに、酔う人は自分だけがカワイソウの主役になっちゃてるのがね、なんともね、ちょっとね。
その過剰さがイタタマレナイ。
騒ぐな、静かにクタビレてカナシミをカミシメテおれ!と蹴っ飛ばしたくなる。とまあ、そんなとこかな。
見当違いなんかじゃありません。
すべてを自我のなかに閉じ込めてしまう、だからこそどこかでガス抜きが必要になる
お酒を飲んでガス抜きができる人は幸せ者かもしれない、でもそれに付き合わされるのは溜まったもんじゃない、ましてやしらふで
そして、私はちゃんとガス抜きができてるのだろうかと自問してしまった
でも子供の頃から心の内を人に見せるのが(見せるどころか悟られるのさえ)苦手だったので、もし酔うことができる体質だったとしたら、酔って箍の外れた自分を翌日想像してそれはそれでかなりストレスかもしれません(笑)。
さて私はどうガス抜きしてるのだろう・・?やっぱり誰にもナイショのお一人様時間かな。小さく逃避することを自分に許して、あんまり遠い先のことを考えない。目標とか計画とか立てない。今日一日やり過ごせば、明日一日もなんとかなるだろう・・で一日一日。そうやってのろのろと進んでいる。
ガスを抜くというより、圧力かけないって感じでしょうか。気合を入れると圧力かかって危険だしね、と誤魔化す日々です。
たしかに圧力の塩梅はむずかしいですね、とくに精神的な病気を患っている今の私にとって大問題です
あまりにも圧力のかからない日は机に向かってため息をつくばかり、圧力がかかり過ぎたら過ぎたでいつ落ちるかと不安に苛まされる
私の圧力調整弁はどこへ行ったのでしょう,誤魔化し方を早くにマスターせねば(笑