なにを探していたのだったか、もう思い出せないのだけれども、気がつくとこの本が読みたくて仕方がなくなっていた。

「限りなくなおかぎりなく」この言葉にすっかり魅せられてしまった。作者は王鞍知子という俳人、ということしか判らず、アマゾンでも出版社のサイトでもこの作品と名前だけがあがってくるばかりで、閉じている。図書館の検索で見ても、都立図書館にすら所蔵がなく、かろうじて区立の一館が持っていたのを地元の図書館を通して借りてもらった。




 めしべ汗ばみ 花粉ひるの深さに散っている


なんとなく想像していた通りの、こんな句を詠むひとだった。
川柳の時実新子や俳人鈴木真砂女のような。




 遊女の墓 みなふるさとに背をむけて


この句には驚いた。
少し前に読んだ宮本輝の「慈雨の音」に出てくる句だったからだ。小説の中に作者の名はなく、作中人物が詠んだ、あるいはどこかで拾った句として宮本輝が作った句なのかと思っていた。でも、この句はとても印象的に使われていたので覚えていた。こんなところで出典を見つけるとは思わなかった。

この王鞍知子の本の巻頭に宮本輝が寄稿しているから、知り合いであったらしい。水上勉も讃辞を寄せていて、宮本輝に水上勉ってどちらも私の好きな作家なので、この本に出会ってしまうのも納得だったりする。

だけど、あれこれと検索をかけていると、私の趣味嗜好はネットの向こうの誰か、何かにすっかり把握されてしまっているのだなぁ。関連ワードとしてこの「限りなくなおかぎりなく」がモニターの片隅に上がってきていたのに、捕まったわけで。
それでも、万にひとつの僥倖にあって、古本屋で手に取るというようなことでもない限りこの本を読むことはできなかったのだから嬉しい。


1991年の出版当時81歳だったそうだから、ご存命ならば一世紀を生きてこられたことになる。時実新子、鈴木真砂女の例にもれず激しく生きてこられたひとのようで、女が女を詠み歌うとやはりこういう作風になるのかと思う。激しさ、がなくては謳えないから当たり前か、とも。





 限りなくなおかぎりなく

この言葉の連なりはとても好きだ。






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