足首の関節が固まってしまわないように少しずつ動かすようにしているのだけれど、もう既にかなり錆びついている。ギクシャクとして、右足首だけでは力のコントロールが上手くできないので、足首に手を沿え、膝を押さえて力を加えるように動かすのだけれど、足首をそっと動かすだけで膝にまで軋みが伝わってくる。
CRC5-56でもシュっとひと吹きしたいくらいだ。

私の骨は、これといってなす術もなく、2008年を迎えることになりそう。まあ、せっかくのオーダーブーツだもの、せいぜい履きこなさなくてはね。でも、このグータラ生活、案外快適でやばい。
高校の時、同級生に牧師の娘がいてある年のクリスマスに教会に誘われた。イヴの夕方にお祈りがあって、参会者のために用意された手作りのサンドイッチやクッキーを食べて過ごし、夜、みなでキャロリングに出た。25日には生誕を静かに祝った。祈りと賛美歌と感謝の日だった。
うんとコドモだった頃のクリスマスは、モミの木をきらきらに飾る日、鶏のモモを食べる日、ケーキを食べる日、プレゼントを貰う日・・だった。たぶんいまでも、普通はそうだよね。陽気なお祭り気分で、要するに欲望全開の日?
いまはクリスマスもヴァレンタインもなんだか空しい。自分の中にバックボーンがなんにもないんだもん。日本のキリスト教関連行事ってTDL並みに嘘くさい張りぼて。終わるとホッとする。
筋肉というのは、あっという間に痩せて衰え落ちてゆくものなのだね。最初の1週間で左右の太腿の太さが違ってしまった。
自分の身体で好きなのは、ほどよくきれいな筋肉がついているとこだったのになぁ。3週間経過したいまでは、足をつけない右足の筋肉ががどんどん落ちて、残ったお肉がたるたるでカッコ悪い。
年が明けてリハビリが始まるまでまだ3週間、現状維持だ。装具を着けてなるべく歩き回るようにしてはいるけれど、身体全体が歪んできている感覚もある。怪我の治癒のあとには、体型の復元もやらなきゃ・・でも、もう若くはないし簡単じゃなさそうだな。
とりあえず、ストレッチは欠かさず続けよう。

二足歩行

2007年12月17日 松葉杖日記
歩行装具を使うようになって一週間。
装具を着ければ、松葉杖なしでもともかくも立っていることはできる。おかげで台所仕事なんかはずいぶんできるようになった。
でも思った。

ヒトの身体は二足歩行するようにできているのだ、と。

いまの状態は、1本の足と3本の松葉杖で歩いているようなもの。変則四足動物状態。ヒトが立ち上がって「手」を獲得していろーんなことができるようになって、爆発的に進化した過程に思いをはせる今日この頃。
納豆を食べると顎が痛くなりませんか?
私だけ・・・?
 
 
 

自爆

2007年12月12日 松葉杖日記
朝、眠りの深みから浮かび上がって、ふっと意識が戻る瞬間が危険だ。
足がこんなで自由な寝返りが打てず、朝まで同じような姿勢のままで寝ているので、身体中の筋肉、関節が強張っている。このばりばりの筋肉関節をほぐそうと無意識に伸びをする。

腰、伸び〜〜〜〜
両腕ぐ〜〜〜〜ん
両足ぐぅ〜〜  おあ〜〜!!右足待ったぁああー!

今朝は寝ぼけた頭が待ったをかけ遅れた。
まだ動かしちゃいけない右足首に思い切り力を入れてしまった。
うう。自爆。
怪我自体自爆なんだから、自爆の追い討ち。痛ぇ・・・。

「ノラや 」

2007年12月11日 読書
はちさんの日記を読みに行ったら、内田百?の種を蒔かれてしまったようで。芋づる式ににあれこれ。

昨日、車で信号待ちをしていてふと目をやると、ついぞ最近まで見かけなかったちんまりとした木造の喫茶店。木っ端の看板も小さく、手彫り風のノミ跡を残した「ノラや」の文字。その屋号のセンスをどう解釈しようか、敷居は高いか低いか。
百?みたいな偏屈そうな爺様にいて欲しいような気もするけど、やあ、たぶん若いこだわりのない店主がやってそうな気がする。足が治ったら行ってみよう。

で、家に帰ってこの本を引っ張り出す。パラパラやってて、そーいえば「藤猫」ってなんだ?って、ほったらかしの疑問が甦る。
ノラと仲良しの靴屋の藤猫、というのが出てくるんだけど、藤猫が意味不明だった。昭和63年。パソコンなんてなかったころだからね。
平成19年は・・・便利ねえ。
「岡山ではキジネコを藤猫と呼ぶ」
ほー。百?先生は岡山の人だぁ。あるサイトではご丁寧に、キジネコの背中の模様を撮った写真とひと房の藤の花の図案を並べてくれていた(笑)
なあるほどー。

で。「玉猫」は?
マンガ家っていうのは、すっごい才能だといつも思う。
物語を想像するだけじゃなくて、絵も描けなくちゃいけないんだからねぇ。
くらもちふさこは、好きなマンガ家のベストスリーに入るかな。この人の作品が単行本になれば今でも迷わず買ってしまうし。
絵が上手ーい。当たり前だけど、登場人物の顔がみんな違う。ほんと当たり前だと思うんだけど、たとえばあだ○充の絵とかって、全キャラクターおんなじ顔でしょ?犬まで(笑)いや、お話は嫌いじゃないけどね、やっぱり笑っちゃう(笑)
キャラクターが魅力的だし、ディティールの描き方が素晴らしい。
昨日今日で、「天然コケッコー」14巻を読破。何度目かなー。
お菓子と飲み物を用意して、マンガを読み耽る・・・自宅療養の醍醐味これに極まれり!
高校生のときに読んだ源氏は与謝野晶子の現代語訳だった。
ずっと他の訳者のものも読んでみたいと思っていてなかなか手が出なかった。せっかくの〜んびりとするほかない時間を賜ったのだからと、これ。

なるほど「窯変」、これはもう訳ではなく創作。語り手が光源氏自身だし。

与謝野晶子で読んだときに一番好きだったのが、第七帖「紅葉賀」。当代一の公達が青海波を舞う描写が美しくて(笑)。まだまだ子供だった昔の16歳は、平安の貴公子をアイドル視してイメージしてたんだろうなー。
橋本源氏では、光源氏が自身の舞姿をどう描写するのか気になるけど、まだまだ先の話。
橋本源氏、醒めた物語り方が面白いし、文体も読みやすい。でも長いなー。これが14巻?

次は一番原文に近いという谷崎訳で、と思ったけど、10年くらい先のことになりそう。
怪我の翌々日にしたのは、リビングの模様替え。

寝室が和室なので、この足では起き上がるのが大変なので、リビングのソファべッドで当分寝起きすることにした。足置き用に大小とりどりの枕やクッションを取り揃える。
センターテーブルを壁際に押しやり、ソファの下に敷いている3畳大のラグを引きずり出し、畳んで隣の茶の間に押し込む。これで即席車椅子で縦横無尽に行き来できるし、松葉杖のときも足元を気にしないですむ。Good!
押入れからワゴンを引っ張り出してノートPCを置き、細々とした日用品もワゴンに収納して。
ふっふっふ。居心地のよい療養スペースが完成。

床に転がって、右足浮かしたまま左足と両手で全部できた。
買い物に行っていた夫が帰ってきて驚いていた。言えばやったのに、無茶するなぁ、と呆れ顔。
そうなんだよね。でも、自分でやればできることを、人にお願いしてやって貰うというのが、すごい苦手。細々説明するのも面倒だし、自分と違うやり方を眺めてるのも焦れてしまうし。
夫と私では得意分野が全然違うので、いつもこんな感じ。
怪我の翌日、まずやったのは夫の書斎の椅子を取り上げること。これに座って、左足でギコギコ漕いで家の中を動き回っている。
足型を採ってきた。オーダーメイドのブーツ。出来上がりが待ち遠しい。

膝下までのロングで、ヒール高は6センチ。革の色はほんのり赤みも感じられる枯葉のブラウン。グレイッシュベージュでも今年ぽくてよかったかなぁ・・。
なんてねー。そんなオーダーができたらどんなにいいか。
自分の足の木型があって、工房で職人が手作りしてくれる・・憧れだなー。ヨーロッパの貴族の家系にでも生まれていればねぇ。

1週間後に出来上がってくるのは、歩行装具。右膝で体重を受けて、2本の足で立つことができるようにする補助具。松葉杖は必須だけど、ともかくも手がフリーになるので、自由度が増す。
もうね、松葉杖、疲れるー。足を常に浮かせてるので右の太腿の筋肉は肉離れ起こしそうだし、上半身はばりばり筋肉痛だし。

で、整形の先生に薦められたときはひと月くらいだし大袈裟な気がして躊躇ったんだけど、2日後には「作ります!」と。
オーダーメイドには違いないので87,000円也。片足だよ?
保険は利くので7割は返ってくるけどさ。ああーほんとにブーツが買えたよなー。
というか、今冬、ブーツ買わなくて良かった。
子供の頃、松葉杖に憧れた記憶があるんだけど、少女マンガの影響ですね、たぶん。
車椅子の少女とか、松葉杖の女の子とか、カラダ弱そうな薄幸そうなお金持ちの美少女?(笑)

このたび、ワタクシ、晴れて松葉杖の身となりました。
少女ではなくオバサンですけど。

11月27日午後5時。
都道脇の歩道を自転車で走行中、砂利に前輪タイヤを取られてスリップ。華麗に颯爽と(名のない鳥さん風:すみません、いつも拝見しています)右足を着いて踏みとどまったつもりがあえなく転倒。診断は全治3ヶ月の右足首骨折でした。

人生初の松葉杖ライフが始まったわけですが、松葉杖を使うこと自体結構な体力というか筋力が必要なんですねー。腕で歩く、って感じでしょうか。上腕筋と背筋がすんごい筋肉痛です。

松葉杖の少女は、実はとっても上半身マッチョだったのかも。

伴侶の病

2007年11月25日
もし夫に癌が見つかったら・・・と思ったときに突然襲ってきた不安は、父の癌を知らされた時の感情とは異なるものだった。

父の時は、たった一人の大好きな父を失うかもしれないという、悲しみ。夫の場合は、衝撃的な不安。どこかしら甘やかな悲しみではなくて、もっとエゴイスティックなもの。
そうなったらどうしよう?死なれたら困る。路頭に迷う。
夫の身体を心配すると同時に、いえ、それより先に、自分の人生を私は心配し不安に駆られたんだ。なんてことだろう。でも、人生を共にする伴侶の病はそういうことなんだな。立っている自分の足元が突然崩れ出すような不安。

父の治療中、母が「お父さんにはなんとしても治ってもらわなくちゃ・・」と呪文を唱えるように何度も言っていたのを、私は冷ややかに聞いていた。
母の気持を、不安を、判ってなかったな。

癌ストレス?

2007年11月25日
毎年郵送でやっている大腸ガン検査で、夫がひっかかった。
「出血が認められますので病院で検査を受けてください」ということで、行きつけのクリニックに大腸ファイバーの予約を入れたのが一ヶ月前のこと。

心配はしてなかった。心配してないと思ってた。あらまあ・・ってくらいのもんで。
なのに検査の前日になって、突然、ほんとに突然、ものすごい不安にかられてしまった。キリキリと胃が痛んだ。その晩は人生初の金縛りまで体験してしまった。自分のそういう精神状態に驚いた。
たぶん、父の癌のことがなかったら、こんな不安にはならなかったと思う。夫は大腸ファイバーは前にもやっているし、一次検査でひっかかるくらいなんとも思わなかった。以前なら。

結局、ポリープをひとつ切除したけれど、問題はないようだった。
だけど癌ってほんと厄介な病気だ。なってからも大変だけど、発病を意識するだけでもこれだもの。参ったわ。

たからもの

2007年11月17日
若い頃は、人生に目的とか意味とかを探してみたりもしたけれども、最近はそんなことどーでもいいような気がしていた。ぐちゃぐちゃくだらないこと考えてないで、ともかく寿命が尽きるまでは生きるしかないんだから、と。
だけど、唯一、人として、いえこの世にいのちを受けたモノとして、有意義だと言える事があるとしたら、やっぱりそれは子供を生んで育て上げるということしかないよな、ってちょっと思った。

知り合いの、6ヶ月になる赤ん坊を抱かせてもらう機会があってそんなこと思ったんだ。
赤ん坊のあの小さな身体に満ちるキレイなエネルギー。柔らかくて温かくて湿っぽくて。甘酸っぱい匂いとともに呼び覚まされるシアワセな感情。この小さくて底知れぬエネルギーの塊こそ、未来で、希望で。赤ん坊って、比喩ではなくて宝なんだな。

子供を持たなかった私は、年はくったけれども、やっぱりどっか育ち損ねてる気がする。

「吉兆味ばなし」

2007年11月16日 読書
その道一すじ、などと誰でも心やすく言いますが、この湯木さんぐらい、それがぴったりする人を知りません。まるで金太郎あめのように、どこを切っても、味のことしか、料理のことしか出てこないのです。
吉兆というのは、日本料理店として、当代その右に出るものはない、第一等の店です。もちろん、名前だけの通った店は、あちらにもこちらにもたくさんあるし、あるいは日本料理のうちでも、すし、天ぷら、うなぎ、どじょう、すっぽんなど、専門の店には、それぞれ見事な店もあるとして、日本料理全体を通して、ぼくは、吉兆を天下第一等の店というのです。   
                          あとがき:花森安治


この本は、ほんとうに有難い本だ。
花森安治が、魯山人にまさる、と言った吉兆の初代・湯木貞一に聞き書きしたもの。題名どおり、味にまつわることばかり。
知り合いの板前さんにあれこれ聞いているような気安さで、料理のいろはを知ることができる。知って、自分でもちょっとやってみようかという気にさせてくれる。
私はこの本で、煮ナスの作り方を覚えた。

当代一の料理人とこだわりの編集者が作り上げたこの本は、内容も装丁も、活字のひとつひとつまで、そう、いまではもう「有難い」ような本なのだと思う。

テレビにでて苦しい言い訳をしているのは、湯木さんの息子さんやお孫さんなんだろうか・・・。
この本くらいはちゃんと読んだだろうか・・そんなこと思いながらニュースを見ている。
そうだ。
今週中に球根を植えよう。

水遣りさえ忘れなければ(それさえ怪しい私だけど)律儀に咲いてくれるチューリップが大好き。大きなウッドコンテナにみっちり30球くらい植えよう。
それから小ぶりの鉢にムスカリをこれも密に。
黄色とブルーで春を迎えよう。
伝統的な日本の発酵食品を取材する若い編集者・・・のお話。
宮本輝なのでそれなり、かな?物語よりも、鮒寿司や糠漬け、醤油といった発酵食品の薀蓄が面白かった。

知らなかったんだけど、鰹節も発酵食品なんですね。
でもって、スーパーで買ってきて普通に使っている鰹の削り節。
いままで何も考えずに「花かつお」と書かれているものを買っていたんだけど、「花かつお」は鰹節の工程の半ばで削り節にして出荷されるものなんだって。
何度も黴付をして乾燥させたものが「本枯節」で、これが鰹節の最上だそう。
で。スーパーで袋の裏をよくよく眺めて、「本枯節」の削り節を買ってみたわけですが。
いやー。味が全然違いました。旨味が濃い。
お値段もかなり違いますが・・・。
伝統的な食材って深いです。驚きました。

ロウソクを灯す

2007年11月6日
時どきロウソクを灯してみる。
長い時間ではなくて、寝る前の10分とか夕方の15分とか。ひとりの時間の、ほんの束の間。
小さなプレゼントでもらったアロマキャンドルなのだけれど、そういうものを灯してお洒落に演出とかそんなんじゃないので、キャンドルというよりロウソクを灯すというほうが似つかわしいかな。
ただ炎を見つめているだけ。炎の揺らぎを見つめていると眩暈に似た感覚を覚える。そっと指をかざして炎の熱を確かめる。熱く尖っているけれど、まろやか。
生きている火。生々しい火だ。

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