五月の蝿に劣らず煩い。
秋めいてきて先のないのを感じるのか、庭に出ると待ってましたとばかりに襲ってくる。暑い盛りの頃のほうがどこか密やかな風で、二の腕をぱちんとやるのもまた夏の情景という感じだったけれども。いまやなりふり構わぬ狂暴である。


そういえば。
今年は秋の始まりを特定しました。
9月10日、木曜日。
朝、窓から吹き込む風が変わっていました。
光も澄んで、世界は清明でした。

季節の仕事

2009年8月31日 日常
この台風が夏を終わらせるんだろう。
実家でふたつ、季節を過ごした。
ベランダの日除けには簾とゴーヤ。ゴーヤはたくさん実をつけた。来年はもっと早い時期に植えよう。来年は葦を渡そうか。簾の場所も少し変えよう。などと来年の夏のしつらえを考える。
来年は、と考えるたびに、来る季節の家の仕事を思うたびに、そこに父にいて欲しいと思う。痩せて体力のない父にはこの夏も厳しいものだったけれど、体調を見ながらやった大工仕事や庭仕事は楽しかった。
秋になれば、また冬にも、なにかしら仕事はある。ひとつずつこなしながら、また来年も同じようにと願う。

真夜中のJanis

2009年7月5日 日常
零時半。久しぶりにiTunesを開いてる。
いま流れてるのはArt Garfunkel 「So Much In Love」。
イヤホンをつけるのも鬱陶しいから音をうんと小さくして流している。
PCのスピーカーは音質もよくないしなんだかモノラル放送みたいで、ふいに昔々、深夜に布団を被ってラジオを聴いていた頃のこと思い出した。
でっかいラジカセで曲が始まると同時にRECボタンをがちゃん!と押して。後で聴くと頭がちょっと切れてたりして、雑音もいっぱいで。でもすごく真剣にエアチェックしてたっけ。「エアチェック」なんて言葉まだ覚えてたね。
なんであんなに一生懸命だったんだろう、少女の私。
それから何十年かが過ぎて、いままた同じ家にいる。
ランダム再生のiTunesもなかなか気が利くね。
Janis Ian 「Jesse」
涙がでそうだ。なんだろうこの涙は。

休日大工

2009年6月11日 日常
休みの日はなにかしら家の修理をしている。
親方は父で、私は手元。緩んだネジを締めなおしたり、網戸を張りなおしたり。簡単なDIY。この家は50年、父が好きに弄り回して今日に至る「父の家」なので釘一本でも父に相談するようにしている。具合の悪いとこを言うと「ちょっと見てきよう」と言う。腰が軽い。元気な証拠だ。「すぐ直るよ」任せとけよ、と言いたげな笑顔が私は嬉しい。ホントは、ネジ釘打ちなおすくらいなら私がやったほうが早いなぁと思うんだけど、手元に徹して父にやってもらう。仕上がりはねぇ・・素人大工だからいい加減なもんなんだけど、手仕事が大好きな父がやってくれること、その元気があるってコトが嬉しい。

この家に帰ってきて良かったなぁと思う。父との時間に「間に合って」良かったと心から思う。
母とも、案ずるより産むが易しで、距離のあった頃よりも気持ちよく暮らせていると思う。母の持ち前の明るさや元気を良いなぁと思える。あれこれ立ち止まって嫌なことを考えてしまう私よりも、ずっと善きひとだ。

夫は、上手に母をフォローしてくれる。二世帯同居といっても、血の繋がりは細い大人4人なので逆にいい距離で暮らせているのではないかと思う。今のところは、だけど。
夫が「お父さんはホントに親ばかだね」と笑う。私も「だよねー」と思う。シアワセだと思う。

ほれぼれ

2009年4月10日 日常
ガテン系男子に。

引越しの日、押し入れ用のプラケース4段分を抱えて階段駆け上がる引越し屋さんのスタッフ。なんときびきびと気持の良い動きであることか。いやいや、よく訓練されておると感心する。若い頃は文系男子が好きだったけど、おばちゃんになると、やっぱり男子はガッテン承知で「使える!」奴が一番かなーなどと思う。

しかし何事も事前の比較見積もりが大事だ。
4社に来てもらって見積もってもらったけど、上と下で25万の開きがあったのにはちょっとビックリ。よく聞いて納得できるところに頼んだけれど、やっぱり業界上位のところはきちんとしていた。

帰郷

2009年3月29日 日常 コメント (1)
勤め始めて実家を出て、それから何度か転居をして、それぞれ好きな街で気に入った部屋で自分の思い通りに暮らしてきたけれども、いつも仮住まいという感覚が抜けなかった。いつもどっかこの街じゃない気がしてた。賃貸住まいだったから?子供がいなくて街との繋がりをまったく持たなかったから?どっちもかな。
この街じゃなきゃどこ?ずっとこんな感覚で生きてくのかな、って思ってた。
だけどここ数年、どこかを探す感覚じゃなくて「帰りたい」ってそんな感情が湧くようになってた。切実な帰りたいではないんだけど、帰ってもいいな・・って、帰るのも悪くないなって、そんな感覚。

育った町へ。来月、帰ります。
帰郷。そんな感覚。

といっても、今住んでる街から30分。同じ都内だし、帰郷はちょっと大袈裟なんだけど、でもずっとなーんだかその町が鬱陶しかった。東京なんだけど垢抜けない町で、ゆるーくて。そこがヤダ!って思ってたんだけど、なんだかそれも悪くないかなーって。私も年取ったってことだわね(笑)
ひとつには父の病があってから、父と一緒にいたいとすごく思うようになったってのがある。父と、実家の居間に座って水戸黄門かなんか見てると「やっぱりここなのかな?」って思ったりすることが多かった。なんだかんだ言っても、成人するまで住んだ町っていうのは、他の街とは重みが違うのかな。

というわけで、来月早々引越し。
家の整理をしているとキャンディーズの「春一番」なんか知らず知らず口ずさんでたりする今日この頃。
古館伊知郎のコメントにときどき「はぁ??」っとなる。

不法滞在のフィリピン人家族の強制送還の件で「法務省は杓子定規だ」と番組の中で言ってたけれど、そもそも法律って「定規」なわけでしょ?法務省が率先して定規を杓子に持ち変えるわけにはいかないでしょうーに。
日本で生まれ育ってしまった13歳の女の子をどう救済するかは「法の定規」とはまた別の話しだと思う。古館伊知郎のコメントってお茶の間におもね過ぎ。庶民の代表でモノ言ってるつもりなのかもしれないけど、原理原則を吹っ飛ばして感情に走りすぎだと思う。

父よ母よ

2009年2月21日 日常
親ってありがたいなぁ・・。

心からそう思った。
ほんとうは、もう逆の立場で親を助けなければいけない年齢なのに。
いい年をして、いつまでもひとり娘気分の抜けない自分を情けなく思いつつ、でもまだ娘として甘えられることを喜んでいる。
ありがとう、ほんとうに。

おもかげ

2009年2月7日 日常
祖母の夢を見た。
大好きだった祖母の、夢。
目覚めて、泣いた。会いたい、と思った。
30年も前に亡くなった祖母。
音信不通でもう消息もわからない伯父や叔母までが思い出されたあとに
また祖母の面影がくっきりと立ち現れて、会いたい思いで胸が苦しいほどだった。
彼岸にいる人をこんなに思って泣いたことなんてなかった。
大好きだった祖母。祖母と一緒にいたときの記憶は私の真珠だ。
やっぱり、私はいまちょっと弱っているみたいだ。

ゆるい街

2009年1月18日 日常
街が、空いてない? 気のせい?ううん、気のせいじゃないと思う。
先週は池袋に出る用が多かったんだけれど、ターミナルが歩きやすいなぁと思った。こころなし人出が少なかったと思う。渋谷、新宿、池袋なんてJRを中心に私鉄にメトロ入り乱れてて人の流れは縦横無尽で反射神経全開でなくちゃ改札から改札まで歩けない場所なのに、なんだかのんびりしてたなー。
夕方、西武デパートに入ったんだけど、フロアゆるゆるだった。連休明けの平日ではあったけど、まだ1月中旬のこの時期、例年なら冬のバーゲンの続きで混雑してたと思うのに、店員さんが手持ち無沙汰に突っ立てた。客はいるんだけど商品を眺めながら通り過ぎるばかりで、ショッピングしたいの!っていう華やいだ雰囲気は全然なかった。商品もまるでシーズン初めの頃のように棚にいっぱいだった。
地下の食品フロアも夕方のかきいれどきだろうに、人かき分けることもなくやっぱりゆっくりと見て回れた。夕方のデパ地下で売り子さん同士がお喋りしてるなんて、有り得ない光景だったと思う。
消費が冷え込んでるってほんとうなんだな。そういえば私も結局通り抜けるだけでなんにも買わなかったな。熱気のないバーゲン会場って、冷静になっちゃうから購買意欲って失せるのね。そういう意味では、ほんとうに必要なモノってあんまりないんだな。
ほんとうに暮らしに必要なモノとそれに見合うお金だけがきちんと市場を回ってゆくような社会でいいと思うけれど、でもそれでは「利潤」は生まれないから資本主義は成り立たないのか。だったら資本主義やめてしまえば?そうはいかない?でもなんだろう、ソビエト型でも中国型でもない、新しい循環経済の形を考えたほうがいいんじゃないのかな。なんてそれこそ夢物語か。
でも、ゆるゆるの人密度は、歩きやすくて悪くない。

おぎゃあ

2009年1月5日 日常
自宅のエレベーターで乗り合わせた若いお母さんと赤子。お母さんの腕の中で赤子が声をあげた。それは「おぎゃあ ほぎゃあ」という表現そのもの、まったくもって読んで字のごとくで、赤さんの顔の横に文字でフキダシでもつけたいくらいで、笑ってしまった。
月齢3ヶ月というその赤さんのおぎゃあ、ほぎゃあは「泣く」というより「鳴く」に近い感じで、声帯があることに気がついて使ってみた・・そんな感じ?(笑)。人間界で通じるような意味がまだなんにもついてないようだった。だから、狭いエレベーターの中でもちっとも煩くない。
そのちっさい赤さんを見て、可愛いと思うより先に不思議とか驚きのようなもの、ちょっと感動に近いものを覚えた。なんなんだろう、このちいさきものは。

美術館

2008年12月23日 日常 コメント (2)
美術館とか博物館とか文学館とか、あのなんとも黴臭いような埃臭いような、でもしんしんと時が降り積もったような空間が好きだ。出かけた先で、時間が空くと寄ってみたりするのが楽しみなのだけど、正直良し悪しはよくわからない。でもともかく人臭くないのがいい。だから、大掛かりな美術展はあんまり見に行かない。ともかく並ぶのが嫌。流れに乗って見て行かなくてはいけないらしい、というのが嫌。
先週会期終了した美術展。とても幸運なことに、休館日の特別招待日に見に行くことができた。会期中は入場まで90分待ちとかざらだったそうなのに、絵の前には私だけ・・という贅沢な時間を頂いた。「手紙を書く夫人と召使」がいる居室の片隅から300年前の窓の光を見ているような感じを束の間味わった。うん、今年一番の贅沢だったんじゃないかな。

これぞ、芸

2008年12月11日 日常
これぞ、芸
たまたま放送していた三遊亭圓生の落語を、引き込まれて観た。演目は「掛取り漫才」。すごい。凄い。大晦日に取り立てに来た借金取りを追い返す・・という噺の中で、主人公が浄瑠璃、芝居、三河漫才を演じる・・・つまり三遊亭圓生が演じるんだけど、これが凄い。浄瑠璃の第一声で寄席の空気が一瞬で浄瑠璃の舞台に変わる。芝居の口上で客席から歌舞伎座にでもいるみたいな声が掛かる。客も演目をわかっていて阿吽の呼吸があるんだろうけど、そういう常客がいるというのも凄い。そういう客を楽しませた落語家も凄い。凄いよ。こういうのを正しく「芸」というんだろうなあ。うーーーーーーーーん。素晴らしいものを観さしていただきました。
読んでいる本を指差して、「それ、どんな話し?」って尋ねられると困る。あらすじをぱぱっと言えるような物語ならいいんだけど、ストーリーがあるんだかないんだか、主人公がなにをするんだかしないんだか、そんな小説がけっこう好きだから「こんな話し」って説明できないことが多い。
これも、やっぱりそんな小説。男や女や男や男や女やらが蠢いている饐えた町で、なにがあったかなかったか。そう、未遂。人生って、生きてる間はずっと未遂なのか。未遂のまま人生は流れてゆくという寄る辺なさ。
車谷長吉の文章は好きだな。

円高

2008年11月19日 日常
コンタクトレンズをネット通販で購入しているのだけれど、海外からの購入になるので円高の今はお買い得ということになる。先日購入した分は12600円。半年前は15100円、ちょうど1年前の11月に購入したときは15600円だったから急に円高が進んだことになる。1年前と3000円も違う。これは大きいなぁ。必需品だからいまのうちにもう少し購入しておこうかな。ささやかな円高の恩恵。

テロリスト

2008年11月18日 日常
行政のシステムへの不服申し立てなんだとしたら、なんだか幕末みたいだなぁ。
ニッポンの行く末を案じて無能な為政者に天誅? 

反社会的な意見と承知だけども。建前としてはテロ許すまじ、というべきなんだろうけれど。建前を言うにしても、どこか冷ややかなものが自分の中にある。
まずは、まだ今の時点では同一犯であるとも、「テロ」であるとも決まったわけではないのだけれど、日本の為政者に「テロなのか・・・?」と思わせておいて欲しいと、思う。そのためには犯人にはこのままどこかへ消えて欲しいと思う。下手な真似して捕まって、イカレタ正体を晒さないで欲しいと思う。捕まってみれば、どうせアッパラパーなおっさんだったりするんだろうから。このまま消え去って欲しい。

アナーキーだなぁ、私。



秋冬限定♪

2008年11月3日 日常
また会えたね、って嬉しくなる。11月から桜の便りが聞こえる頃までのお楽しみ。秋冬限定のラミーチョコレート。チョコレートの名品だと思うよ。
ロッテのガーナも好きだし、森永の「Morinaga」というロゴの板チョコも好きだし、うん、日本のチョコレートは美味しい。
麻生太郎のあの歪んだ顔を見ると、昭和初期を舞台にした任侠映画なんかによくでてくる「札束で顔張って人を言いなりにする成り上がり炭鉱王」ってのが浮かぶんだけど、あ、出自がまんまじゃない?成り上がりではなく筋金入りというところが違うか。もっと性質悪そうだ。
今回の定額給付。いったいなんなんだ?お金をばら撒くのが政治なのか。無策の最たるものじゃないのか。だいたいなぜ私達は税金を払っているのか。個々人の小さな額(小さくはないけどさ)ではできないことを、代わってやらせるために預けているんだろうに。国民から集めた2兆円をまた小分けにしてばら撒いてどうするんだ。
10年前の地域振興券だって、結局、なにかしらの効果あったのか?子供も老人もいなかった我が家は、現物を目にすることもなかったし、つまりは税金がどっかに消えたんだという感覚しかなかった。
地方自治体にばら撒かれた、ふるさと1億円なんてのもあったけれど、なんだか全国で使われもしない半端なタテモノが建って朽ちてるだけなんじゃなかったっけ?
金をばら撒けば国民は喜ぶのか?バカにされたもんだと思う。1万何千円かで1票買えると思ってんだろうか。
札束まいて芸者を躍らせて庶民を足蹴にして高笑いの、御大尽様か。100年ずれてる。

とほほどっぽ

2008年10月30日 日常
「武蔵野」を書いた作家所縁の某JR駅前でバス待ちの列に並んだ。前には、就学前くらいの女の子とその両親。
バス亭前の街の案内板を見ながらの、以下、その会話。

娘:ママー、公園でフリーマーケットだって!
母:今度の日曜? 「ひとりあるき」公園だって。ヘンな公園。
父:それ、違うだろ? そーいうのは、「どくほ」って読むだろ?
母:そーおー?


ひー、マジ?案内板のプリントには「独歩公園」って書いてあるんだけど、えー??いや、「国木田」って苗字は省かれてるけどさ。んー?いやぁーそおなの?
うーん、そうかもね、私だって国木田独歩の作品なんて読んだことないし。そうよねーフルネームじゃなきゃぴんとこないよねー? えーでも案内板の横には所縁の碑がちんまり建ってたりするんだけどー。いや、気がつかないかー。えええーそうかー??(汗)
お父さんはパリっとしたグレイのスーツで、お母さんは紺のジャケットスーツで品よくまとめた30代お受験家族、という感じなので、その会話はあまりにおバカだよー。
ごはん♪
リンク先で拝見した釜揚げシラスに秋の食欲が刺激されてしまい、ごはんのお供にこれ一品!というのが頭に浮かんで仕方がない。折から新米の季節。最近は、ご飯が美味しく食べられるおかずがひと品あればほんと満足。さて、なにがいいかなー。

*釜揚げシラス:生シラスよりも釜揚げ。
*筋子:イクラよりも筋子。
*鱈子:辛子明太子ではなくて鱈の子。
*塩鮭:塩引き。焼くと浮いた塩が脂に溶けてからまた固まって・・・絶句!
*糠漬け:胡瓜、茄子、大根、蕪、キャベツも捨てがたいなー。
*山葵醤油漬け:ああ、このへんはお茶漬けにしたくなる。
*塩辛:これもねーお茶漬けー。
*煎茶:いや、ただお茶をかけただけの茶漬け、好きなんだよね。
*塩むすび:究極はこれ? ほかほかを握ってそのままいっちゃうひと口が旨いんだ。

お米は偉大だなー。
日本人でよかった!・・・と去年の今頃も書いてたっけ(笑)
いやお恥ずかしい、まったくおんなじこと書いてたわー。

あ、卵かけごはん、ってのもあった!

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