リンク先からあちこち飛んでいて見つけた名前。
10代の頃に見た映画で、フランスの大人の女性ってなんて素敵なんだろうと思い憧れたことを思い出した。
その頃見た映画はなんだったろうか、とさらに飛んでみた。アニー・ジラルドを最初に見たのはたぶん「パリのめぐり逢い」。クロード・ルルーシュにフランシス・レイという60年代メロドラマの典型みたいな映画だ。その後にヴィスコンティの「若者のすべて」を見たんだと思う。ヴィスコンティだし、10代の私がドラマを楽しめたかどうか怪しいもんだけど、アラン・ドロンとアニー・ジラルドの美しさだけで見通したんだろうな。
70年代のショートカットの彼女もいいけれど、60年代のアニー・ジラルドが好き。

今年の2月に79歳で亡くなっていたことも今日知った。
映画の出演の最後はミヒャエル・ハネケ監督の作品らしい。
「ピアニスト」をちょっと見てみたいかな。でもなかなか手強そうな監督だからどうだろう。

そうそう、アニー・ジラルドともうひとり同じニュアンスで好きな女優さんがいたっけ。ダイアナ・マルドー。と言ってわかる人はいるかな。アメリカのテレビドラマ「警部マクロード」のマクロードの恋人のクリスを演った人、ってさらにわかんないか。知的でチャーミング。

10代の私の、なりたい大人の女性像はこのふたりだった。
今日は、懐かしい憧れを思い出した。





佐野洋子で。

佐野洋子が女友達と暇潰しに「うたかた」を読んであーだこーだ言ってるのだが、おもしろいー。5ページのエッセイで渡辺淳一の“豊潤な人生の至福”を堪能させてもらった。佐野洋子サイコー。
内田百閒について「本当は世界で私だけが内田百閒好きならいいなと思っている」と書くその気持すごくよくわかる。私だってそう思う。おこがましいけど。

ちょっと元気のないときに佐野洋子を読むと、身体にいーい塩梅の毒が回ってくれる気がする。


今朝は起きられなかった。
普段は目覚ましのなる10分くらい前に自然と目が覚めるのだけれど、今朝は携帯のアラームの音でどんよりと目覚めた。それだけでもうよろしくない気分。

起きようと頭をあげると、ぐわーんと眩暈。胃がせりあがって頭がクラクラする。遊園地の回転マシンに積み込まれたよう。仕度して仕事に出かけなくてはと気になりつつ気持悪さに耐えて目をつむっていると眠ってしまい気がつくと始業30分前。諦めて欠勤の連絡をし、みたび眠りに落ちた。
目覚めるともう昼時。恐る恐る頭を動かす。眩暈は治まっていた。
年に一度くらいある回転性の眩暈。眠れば治まるんだけど、気持が悪い。昔は、回転マシン大好きだったのになぁ。
3大紙のうちの2紙、スポーツ紙1紙、地方紙1紙を購読していた時期があった。新聞という紙媒体が好きだった。
3年ほど前、最後まで購読していた1紙を取るのをやめた。
それでも、新聞の紙面に愛着があってネットビューの購読をしていたけれど、それも半年ほどでやめた。

いま、ニュースはネットでチェックしているけれど、新聞社のヘッドラインを見ているだけで、ほんとうに厭になる。

  首相の意向で海水注入中断…震災翌日に55分間
  炉心溶融、首相「東電の発表まで知らず」

みえみえの「菅降ろし」キャンペーンを張る新聞社にはうんざりだ。
菅直人を支持しているわけではないけれども、じゃあいま、誰にやらせればいいのか。平時にだって1年持たない総理大臣をごろごろ出す政党? パワーゲームにしか興味の無さそうな党内ライバル? 誰なら暴走原発の火を消せるというのか。
政治責任を取れというなら、「この事態が収束するまではやめさせないぞ」と寄ってたかって首相の座に縛り付けて菅さんを人柱にしたらいい。そして事態収束の成果を横取りしあえばいい。まずはこの事態に集中して欲しい。
政治屋さんの言うことやること見聞きするのも厭だ。

そして新聞社。そもそも原発を日本に置くことに道を拓いてしまったのは、某新聞社の元社主なのに。これだけあからさまだと騙されようもないけれども、なんかもう日本の報道というものに絶望する。



まだ希望があるとすれば。
こういう良心ある知性がいてくれるということか。
http://hiroakikoide.wordpress.com/


その後の日常

2011年5月23日 日常
3月11日、地震の当日は家にいて揺れがおさまってからはテレビを見続けていた。翌日は仕事に出て、仕事先のあまりの「通常通り」に、ものすごい違和感を覚えながら仕事をした。数日してから混乱が始まり、仕事もイレギュラーな状況が相次いだけれどもむしろ違和感はなくなった。計画停電の3週間余りは、なぜだかとても落ち着いた感覚だった。これが自然な流れだろうと感じていた。暮らしというのか、社会というのか、なんと言ったらいいかわからないけれども、平成の時代が縮小していかざる得ない事態なのだからと思っていた。そしてそれは悪いことではないとも思った。期待さえ感じていたのだと思う。

5月下旬になって、いま、なにか変わったろうか?
地震・津波の直接的な被害を免れた東京郊外では、3.11の興奮はもう過ぎ去ってしまったように見える。それは、落ち着いた暮らしが戻ったことのようでもあり、何も変わらなかったということのようでもある。
変わらなくていいんだろうか?変わって然るべきではないのか?変わらざる得ない事態を見てないだけではないのか?





地震・津波は3.11がピークだったけれど、福島原発はまだピークを迎えていないのでしょう?ふた月経って、「実はメルトダウンしてました」とかさらりと報道されてたりする。

3月4月は、過剰な自粛にたいして「普段通りに暮らすことが大事」という空気だったけれど、3.11以後の「普段」はそれ以前の普段とは絶対に違ってしまっているはずなのだ。だけどその違ってしまった大きななにかは希釈されて感じ難くなっている気がする。ほら、書きながら歯切れが悪いし。

昨日の夜、仕事帰りに霧雨が降っていた。荷物が多くて、駅から家まで5分だしと傘を差さずに歩いたけれど、歩きながら、ああ、きっといろんななにかを浴びてるんだろうなぁ・・と思った。思っているのになにもしない、このキキカンのなさ。というか鈍感さ。
こうやって日常に埋没して気がつくと「最悪」を迎えているのかもしれない。

「好き」という感情が先に出る人間と「嫌い」という感情が先に立つ人間とでは、前者のほうが楽に生きやすいと思う。ことに人生が押し迫ってくると。
・・・というようなことを、病院で手に取ったフリーペーパーに赤瀬川原平が書いていた。私もつくづくそう思う。私は「嫌い」が先立つ性質なので、老後が心配だ。


アブラムシっていったいどこから湧いてくるんだろう?
ツボミがつき始めたツルハナナスの葉先の柔らかいところに、びっしりとついている。根元から登ってくるとも思えないし、まさに「湧いてきた?」というような。不思議ふしぎ。


「好き」の感情を優先させて暮らすなら、やっぱり山篭りしかないかも。私の「嫌い」「No,thank you」の感情はほとんどひとが関わってる。ひととひととの関係の中はもちろん、ひとが作ったモノとか、表現とかも。自然界が産んだものにそういう感情は湧かないもの。たとえアブラムシであっても。うへえ、とは思うけれど私を疲れさせはしないもの。

土の仕事

2011年5月9日 日常
今年のゴーヤの苗を植えた。

昨年は早々と苗を購入したはいいけれど、土が足りなくて前の年に使った土を篩っただけで使いまわしたのが良くなかったようで葉の茂りも実の生りも悪かった。ゴーヤが連作に適さないというのを後で知った。
ベランダで植物を育てるのは土の処理がなかなかに面倒なのだ。鑑賞用の植物は毎年古土がでる一年草は避けているので良いのだけれど、野菜類はそうもいかない。今年は無難に野菜用培養土と赤玉土に植えたけれども、次は永田農法を試してみたいなぁと思っている。

ベランダで作業していると、今を盛りの春菊の花を目当てに飛んで来る蜂に威嚇される。そういえば春菊があんなに綺麗な花を咲かせると知ったのも、葉の収穫が終わったあとのコンテナの古土を篩ったり石灰を漉き込んだりする作業が面倒で放っておいたからだった。

夏は来ぬ

2011年5月2日 日常
夏は来ぬ
庭の隅で卯の花が咲いている。乾いた白が優しい花だ。
毎年、花が咲くまでそこにあったことさえ思い出さないのだけれども、この花を見るとやっぱりくちずさんでしまう。
卯の花に匂いはないし、ホトトギスも来ないけれども。

ああ喉が痛い。
卯の花の頃はいつもうっかり風邪を引いて喉を腫らしている気がする。
香菜の花
昨秋、レストランで貰ったパクチーの種を鉢に蒔いておいた。
こんもりと葉を茂らせてくれて、鶏のスープや塩ラーメンを作ったときには葉をむしって入れてひと冬パクチーを堪能し、いま、花が咲いている。ちいさな白い花火のような可愛らしい花姿。

植物は好いなぁ。


桜餅の木、と私が勝手に呼んでいる大島桜の古木を見に行ってきた。なぜだか、どうしても見たくなった。三年ぶり。
花の盛りは過ぎて七割方散ってしまってはいたけれど、北側の大枝にはまだ充分花が残っていて近づくとたおやかに匂う。バス乗り継いで来た甲斐があった。
高名な法師を真似るわけではないけれど、この花のドームに潜り込んで永遠の眠りにつくのもいいなぁ、などと夢想する。眠るように息絶えて、朽ちて土に帰るまで放っておかれるのが理想だけれど、まあそれは無理だろうから、ここに散骨してもらいたいなぁ。誰に頼めばいいかなぁ。
ふふ。三年前は潜り込んで昼寝したいと書いたのに、今年は永眠を夢想してるなんて、そうとう桜に魅入られているね。

薄曇の空の下はらはらはらはら散る花びらを浴びて過ごした。

今年の桜日記はこれでおしまい。
廃墟の桜
廃墟の桜
昔むかしの子供が夢の時間を過ごした場所は、いまはもう誰に夢を見せるでもなく、ゆめまぼろしのように静まっている。柵で囲われ、ひとの気配のまったくない広大な敷地で咲く桜、桜、桜。ほわほわと煙るような夢見心地の桜色。霊園の桜、廃墟の桜が美しいのは、たぶん桜が人嫌いだから。

桜静

2011年4月9日 日常
桜静
なんでもかんでも自粛がいいとは思わないけれど、この時季恒例の「桜祭り」がないのは静かで好い。
桜はただ咲けばいい。ひとはそれを黙って眺めればいい。
ダサい提灯や無粋なブルーシートなんかなくていい。

逃避願望

2011年4月4日 日常
誠実の反語はなんだろう。不実?
誠実さの足りない私の実感としては卑怯ってとこか。

後ろめたい心持が拭えないのはなんでだろう。
平穏に変わらぬ日々を暮らしたいと思いつつ、大事と知るものを全て投げ出して逃げ出したいような感覚に胸が塞ぐ。もう何十年も生きてきてるっていうのに、覚悟が足りない。いつもちっちゃく逃げながら生きている。そういう卑怯が後ろめたい。

震災の後の計画停電に当ったとき、私はすこし高揚していた。「こんなときだから」いいんだ仕方ないんだ、と心理的な逃避をしていた。こんなときでもなんでも、私が何の何某でいる限り引き受けざるえない人生に変わりはないのに。たとえあの津波で流されていたとしても、人生の瓦礫にさらにまみれてしまうだけなのに。
ほらまた眠くなってきた。
私は昭和の高度経済成長期に育った子供だ。
景気は良かったんだと思う。とりあえず明日は明るかったと思う。子供だったからそんな意識はなかったけれど。

でも多摩川はどろどろで臭くてダボハゼとザリガニくらいしかいなかった。幹線道路は排気ガスでホコリっぽくて縁石には灰色の塵が積もっていたりした。夢の島はガラクタやゴミで埋め立てられてメタンガスがぽこんぽこんと噴出してた。「公害」という言葉がテレビから聞こえてきて、背中の曲がった魚や真っ直ぐ歩くことのできない猫の映像が怖かった。砒素やサリドマイドの被害を受けた赤ちゃんがいた。いろんな食品添加物が明記されないまま加工されてマーケットに並んでいた。中国やアメリカやフランスやインドが原水爆実験をしょっちゅうやってた。雨に濡れたらホーシャノーで死ぬんだよなんて男の子達は騒いでた。
私が子供だった頃、景気だけは良かったけど日本は汚かった。
いったいどれだけの危険物質にまみれて遊んでいたことだろう。

そんな時代から40年ほど経ったけど、まあ、まだこうして生きている。いろんなものに汚染され、蓄積してたりはするのかもしれないけど、いまのところはなんともない。
私が子供だった頃、水を買い占めたりする人はいなかった。ペットボトルもなかったし。核シェルターなんて流行ったけど、そこで暮らしてるって人の話は聞いてない。そこに籠もった人がいたとして、もう出てきたのかな?それともインターネットなんてのも知らずにまだ籠もってるのかな?

40年経ったけど、幸い春は沈黙することもなく訪れてきた。裏の棕櫚の木に山鳩が巣を掛けようとしている。ムスカリの蒼は鮮やかでカロライナジャスミンの黄色い蕾もほころんできた。

逃げようと思うだけ無駄みたいだし、いろんなものにまみれながらも、まあ、なんとか生きていくんだろうね。汚染されて死ぬのが先か、寿命の尽きるのが先か、どっちかな。


ありがたきこと

2011年3月21日 日常
4日ぶりに仕事に行く。
仕事があるということをありがたいと思う。
働く場所があるということがありがたい。

リョーコさんのきりりとした顔を見て嬉しくなる。
ほんと気合が入るとさらにキレイだ。
うん、美人というのもありがたいものだ。

ゴジラ

2011年3月19日 日常
福島原発で、自衛隊のヘリが水を掛けている映像を見ながら、大昔の怪獣映画のようだと思ってしまった。
原発という名のゴジラ。

使用済み核燃料の発熱エネルギーは小さな火力発電所並みだと聞いたことがある。もう電力に変えることはできない、熾き火のような「使用済み燃料」でも、相当大きなエネルギーを持っているらしい。水素爆発起こすほどの熱量のあるところに、数トンの水をかけてなんとかなるのかと、素人ながら思う。ましてや海水。大量の塩ができるだけなんじゃ・・・と思った。
ゴジラに水鉄砲で立ち向かうようなもんじゃないの?漫画だよ。

だけど、これは漫画や怪獣映画じゃない。現実なんだよね。
ヘリや消防車からの注水なんてパフォーマンスはもういい。
原発を造った技術者がちゃんと危機対応にあたっているのかどうか、そういう人がいるのならどういう見通しをもっているのか、それをちゃんと知らせて欲しい。

・・・・・・・・・・・・・・

「パフォーマンス」は失言だった。
命がけで放水にあたってくれている自衛官や消防隊員に失礼だったと反省。
なす術のない政府と東電のエクスキューズに見えてしまったんだけれど、とりあえずの「対症療法」も必要なのかもしれない。


地震の直接的な被害からは免れた東京で、今まで通りに生活することが大事と思いつつも、そう思うことが既に今まで通りではないのだ。時間が経つにつれてボディブローのように違和感と疲労感、不安感が積もってゆく。

0.3秒くらい意識がとんで、刹那、世界の輪郭がブレたような感覚に陥る。すぐに戻るけれども、じわじわと疲れる。


大きなスーパーマーケットの棚は、虫食いの痕のようにガラガラだったりもするけれど、バックヤードから品物は出てくるし、パンだって牛乳だってタイミングが合えば手に入る。品切れなら、「あ、ないのね」で済む話だ。
危機感での買いだめというのもあるのだろうけれど、みんな「買いたい欲求」が溜まってたんじゃないかなとも思う。女はお買い物が好きだ。百均ショップのハンカチ一枚でも、ワゴンセールのメロンパン1個でも、「買う」ことは楽しい。
ここ数年、不景気感が続いていて、無駄な買い物はするまいとあれこれ考えて、カゴに入れた品物をやっぱり棚に戻したりしていた。ちょっとそういうのに飽きてたんじゃないかな。
震災で、大義名分もらった感じなのじゃないかな。今日は使わないけど、明日必要になるかもしれない、あったら助かるかもしれない、備えあれば憂いなしという口実。買うものは日用品で、お洒落なものでも贅沢品でもないけれど、無駄買いする楽しみ、みたいなものにちょっと飢えてたから。

そんなこんなもひっくるめて、やっぱり今までとは違ってしまった、そんな気がする。3月11日を境に。それ以前とは、やっぱり何かが違っているし、これからもっともっと違いが際立ってくる気がする。
図書館を出たところで呼び止められた。
ふりかえると沈丁花。
どうして花の匂いは後ろからくるんだろう。
冬の終わりがまたひとつ。



ひろいもの

2011年3月4日 日常
昨日の日記を書いた後、YouTubeで「ボレロ」をあれこれ漁っていて見つけた。

http://www.youtube.com/watch?v=jottVHydn7E
笑える。

で、横の関連動画でシルヴィ・ギエムの「ボレロ」を見る。
先に見たダンサーとの違いに愕然。素人目にも身体能力の差が歴然。足を上げる、ただそれだけのことがこんなに違うのか。
ギエムの動画を延々3時間くらい見入ってしまった。


http://www.youtube.com/watch?v=IdjAbhZi-QU&feature=related
「Two Rise and Fall」

2011年3月3日 音楽
私は良い耳を持っていない。
歌うことはからっきしダメだし、聴くほうもいい加減なものだ。

だから、プリミティブな音楽に魅かれる。原初的な祈り、のようなもの。そこに声があればいい。楽器はあってもなくてもいい。あってもひとつかふたつでいい。声はひとりの声でもいいし、大勢の声でもいい。
最近よく聞くのが声明。要は読経なのだけれど、大勢の僧の鍛えられた声がいい。何人も何人もの声が幾重にも重なり絡み上昇したり雪崩落ちたり霧散したり沸き起こったり。怒涛のような理趣経の中曲は脳を痺れさせます。ラヴェルの「ボレロ」聴いてるみたい。

人に言うと「お経聞いてるの?」と変な顔されますが、いいものはいいの。グレゴリオ聖歌なんかも好き。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 >

 

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索