冬の終わりの雨の日に観る。

観終わって、鉛でも呑みこんだような気分。何度も大きく息をする。
人生ってとか、運命ってとかそんな言葉を使う気にもなれない。涙も出ない。
どんな映画でも、観終わった後にはそれなりのカタルシスがあるもんだけれど――駄作観ちまったぜという腹立たしさも含めて。怒って浄化できるという意味で――この映画にはまったくカタルシスがない。暗い映画とか重い映画とか幾らでもあると思うけど、こんだけ救われない気分にさせられる映画もないんじゃないかな。
これでショーン・ペンとティム・ロビンスがオスカー取ったけど、「映画」としてはどうなんだろう。劇場でこれ観てたら、たぶんお香典置いてきたような気分で帰ることになりそうだ。

それでも、この映画は嫌いじゃない。たぶん。
いい映画だったとは言わないし、好きな映画だとも言えないけれど。
厭だなあ。冬が終わってしまう。

もうここ何日か、風に春の匂いが混じっていた。
薄らぼんやりとした匂い。
今日は。強い風が吹いている。春一番、らしいね。
ここから、桜が終わるまでの喧騒が嫌い。
埃っぽい風が吹き、黄砂が舞い、クシャミ鼻水鼻づまり、花が咲いたの咲かないの、卒業引越し別れだ出会いだ、ああうるさい。
春はなぜこう鳴り物入りでやってくるのか。ドンちゃん騒ぎの気配に訳もなくそわそわした気分になる、それがイヤ。

ああ、早く、しんと静かな冬にならないかしら(気が早すぎ・・)

リョーコさんは美しい。清廉潔白で、そしていつも正しい。

彼女を見ていると、世の中捨てたもんじゃないって思う。こんな人がいてくれることを嬉しいと思う。
リョーコさんは淑やかで、おきゃんで、そして賢い。
彼女がいたからこの2年、新しい仕事を続けることができて面白いと思えるようにもなった。

でも、一昨日のようなだめな日は、リョーコさんと一緒にいるのがすこーしばっかり苦痛だったりする。
ああ、この人は、ズルをしちゃおうとか、サボっちゃおうとか、どう言い訳しようとか、バレなきゃいいや、とか、そんなこと考えたりしないのだろうな。きりりと晴れやかに美しい面をあげて、いつも正しいことを言う。一点のシミもなく。汚れのない人。清廉潔白居士。
脛に傷ばかりの私は、小心小悪党の私は、リョーコさんが眩しくてならない。

リョーコさんの美しさに見惚れ、賢さ優しさに感謝しつつ、時々リョーコさん、あなたの清廉が嫉ましく、正しさに憎しみと言っていいような感情を抱いてしまうのです。そして、そんな自分が情けなく泥のような感情の沼に沈んでゆくのです。


だめな日

2011年2月16日 日常
だめな日ってある。
今日はなんだか、だめ、だったな。

すれ違う誰も彼もが、私の悪事を知っていて、それで目を合わさないようにしている、とそんな妄想が浮かんだら消せなくなってた。なにしたっけ? なんかバレてマズイような真似したっけ?

なんかもう、馬鹿みたいにだめな日だった。

歯っ欠けババア

2011年2月4日 日常
舐めていた黒糖キャラメルにくっついて、義歯がポロリ、と外れてしまった。飲み込まなくてよかった~とホッとしたけれど、側切歯なのでこのままではあまりにみっともない。
今の住まいの近くではまだ歯科医にかかったことがなかったので、さて、どこに行こうか迷う。初診予約なしだけど、今日行っておかないと明日人に会うのだからこんな歯っ欠けではいくらなんでもと、待つのを覚悟で駅前の3件ほどを当ってみることにした。
とれたのはインプラントに被せてある歯なので、矯正歯科・インプラントの看板のある歯医者へ。一件目で、30分ほど待って診てもらえてくっつけてもらえたので助かった。
今後のメンテナンスもお願いしたいと思ったのだけれども、「治療してもらったところに行かれたほうがいいと思います」とまったく乗り気ではない対応だった。
元々の治療をしてもらったところは今の住まいからは通い難い場所なので、地元ですぐ診てもらえるところを確保しておきたかったんだけど。
まあでも、インプラント含めて歯列矯正済みの患者なんて、もうお金の吹っかけようもないから興味湧かないわな。地道な歯石取りとか虫歯治療とかじゃお金にならないのかな?でも、歯は一生ものだし、メンテナンスは必要だし地元に良い歯医者さんを見つけなくちゃ。

明け方ふと目を醒まして何の気なしに頭に手をやると、髪がとっても冷たくてびっくりした。
ここ何日か朝目覚めたときに、頭痛がしていた。眼窩から上のほうが薄っすらと。布団はしっかり被っているけれど、頭頂部は無防備だった。これかなぁ、頭が冷えすぎて血管収縮しちゃったのかも?寝る時用にフリースのキャップでも買ってこようかしら。

このところ関東も寒い。そろそろ冬のピークかしらね。
でも、冬の寒いのは嫌いじゃない。あの逃げ場のない夏の暑さに比べたら救いがある。
太平洋側の冬はカーンと晴れて清々しいし、陽射しの暖かさには感謝の念すら覚える。ストーブで焼く安納芋の蜜のような甘さや湯たんぽの温もりや毛布の手触り、そういう小さな救いがいっぱいある冬が好きだ。

体重の想像を超える増加に驚いて、炭水化物を控えているんだけど、朝トーストをやめて林檎を食べてたら、胃が冷える感じがちょっと辛かった。珈琲だけでは温まらない。やっぱりスープを作っておこう。野菜をいっぱい入れてストーブにかけておこう。

ストーブがくれる炎の熱さと美味しい湯気と匂い、やっぱり冬が好き。

重かった

2011年1月15日 日常
なんか身体が重いなぁ・・と思っていた。
歳だな、体力なくなったなぁ・・と。

じゃなくて・・。
文字通り重かった。重くなっていた。
2リットルのペットボトル3本持って歩ってたらそりゃぁ~疲れるだろうさ。24時間×数ヶ月の休みなし負荷トレーニング?おいおい。
実家に越してから、かなり口と胃袋甘やかしてたから当然と言えば当然か。

すんごいヤバイ。
野菜スープダイエットが効くのはわかっているんだけど、仕事してると実施しにくいんだよなぁ。困った。


昨日の朝、出勤時間に門を出ると町内の路地に川嶋のおばさんの姿があった。
自宅の屋根を見上げながら一服する様子はいつも通りだ。
挨拶するには距離があったし、駅へは方向が逆なので、おはようございますと軽く会釈して背を向けた。80歳を越えて耳も眼も遠いので私に気がついたかどうかはわからない。屋根を見上げたままのようだったから。

夜帰宅すると、母が、川嶋のおばさんが亡くなったと言う。
お昼に、炬燵で転寝する姿のまま亡くなられていたと。

私が子供の頃は、おっかないおばさん、だった。
大きな声で夫婦喧嘩をし、近所のアパートの住人のゴミの出し方がなってないといつも怒鳴り込んでいた。町内をまわるセールスマンなどはよく捕まって文句を言われていた。
おっかなかったので、挨拶は欠かさないようにし、なるべく出くわさないようにもしていたっけ。

実家に戻って挨拶に行ったとき、すっかり毒気が抜けて感じの良いお婆さんになっていたのにちょっとびっくりした。
町内の路地や近所のスーパーで出会ってももう怖くなかったし、むしろ煙草を吸いながら、町内を巡回する姿を見るとほっとするような気になった。


年末には父の趣味仲間の杉本さんが亡くなった。95歳。前日には元気に忘年会に出ていた。
95歳に、87歳。
順番なんだなとも思えるし、長く患ってと言うのでもないのでさばさばとした逝き方なんだけれども、さばさばとした分だけさばさばとサミシイ。
私自身とすごく親しかった方々ではないけれど、子供の頃から知っている風景に点在してた方々。懐かしい点景がちょっとずつ変わっていく。そんなサビシサ。
そんなサビシサも当たり前になっていくのか。

そうやって、いつかみんないなくなる。
いつか私も。




玄関の上がり框に腰を下ろして、硝子戸越しに見るモミジの鮮やかさに見惚れる。午後の低い太陽が逆光になってモミジの葉を赤く紅くする。正月を過ぎれば葉もみんな落ちてしまうだろう、名残のモミジ。

昨年は千両万両五両がどれも実りが良くて、千両を正月のお飾りにふんだんに切って使ったのだけれど、今年は夏の暑さのせいか実がほとんど落ちてしまった。

蜜柑は豊作。春菊は今年もわさわさ。




モミジの紅を堪能できる時間がもうひととき。

週に2日ほど帰宅が22時をまわることがある。この晩はいつも外灯と一緒に玄関内の灯も点けておいてくれる。一階の住人は寝てしまっていることもあって、真っ暗では手元足元が危ないと思ってくれているからなのだけれど、外灯と硝子越しの玄関灯に照らされたモミジはなかなかの美しさ。
角を曲がって、図らずもライトアップされたモミジを見るとき、帰ってゆく家があり、待っていてくれる家族があることにしみじみ感謝する。大袈裟なようだけれど、この家に住むようになっての素直な実感だ。

季節はめぐる。春夏秋冬、毎年同じようで少しずつ違う。
同じような平凡な日々を過ごしつつ、小さな変化を楽しんで暮らせたらそれでいいと願う。

来る年も、つつがなく過ごせるように。

感想を述べよ

2010年12月20日 日常
課題図書の日記を書きながら思い出したこと。

友人Mといるところに、友人TがやってきてMにDVDを返しながら「ありがとう、面白かったわ~」と言った。
Mは一拍間をおいて言った。
「面白いじゃなく、良かったというべきね」と。

友人同士の本やDVDの貸し借りで、そこまでの指摘は普通はしないだろうけれど、さらりと嫌味なくそれを言うMが私は好きだ。Tは「え??」という顔をして絶句していたけれど。

確かにその映画は「良かった」と言葉少なに評するのが似合う映画だった。楽しんだのであれば、別にどっちだっていいようなもんだけれど、でも「面白かった」と「良かった」の違いにこだわる気持はすごくわかる。それを使い分けるMとは安心して本や映画の貸し借りができるし、実際彼女は「美藤、これ見て」といってかなり一方的にあれこれ貸してくれたっけ。
お互いに引越しをしてなかなか会えなくなったけれど、いまMはどんな本を読み、どんな映画を観ているかな。



たきびと第九

2010年12月20日 日常
このあたりの石油売りのテーマソングは2曲。


少女の声で唱歌「たきび」が流れてくる。

垣根の垣根の曲がり角
焚き火だ焚き火だ落ち葉焚き
あたろうかあたろうよ

のどか。
休日の昼下がりにはいいBGMだ。


パンパンパンパン
パンパンパンパン
パンパンパンパンパーンパパン

第九のブラスは景気はいいけどね。ちょっと煩い。

たわわ

2010年12月16日 日常
たわわ
今年は蜜柑がたくさん生った。
そういえば初夏に花がいっぱいでとても良い香りがしていたっけ。あまりにたくさん実がついたので、かえって味が心配だったけれど果汁も瑞々しく甘味も充分ある。売っている蜜柑と遜色ないねと嬉しくなる。

実の重みで南側に隣接するアパートの駐車場に枝が張り出してしまったので、蜜柑狩りをする。
ヘタの上にハサミを入れてぱちんと切ると、さわやかな香りがほんのり。香りを楽しみながらぱちり、ぱちり。あっというまにダンボール箱いっぱいの収穫。
まだ五分の一も採ってないかもしれない。

3年前。ようやく生った蜜柑の数を7つ、8つと病み上がりの父と数えた時のことを思い出す。
今年はとても数えきれない。
ひと冬、蜜柑は買わなくてすみそうだ。
先週末、同僚と仕事の帰りに本の話をしながら帰った。
今日。「この間話してた本、お貸しします」と渡された。
お正月休みに読みますねーと言いながら、ちょっと困った。

本を知り合いに借りて読むのは得意ではない。貸してくれた人の気持に添いたいと面白いところを探して読んでしまいそうで。
読書って、お風呂で身体を洗うのと同じくらい極々私的なことだと感じるので、面白いから読んでと渡されるのは正直辛い。
銭湯で突然現れた三助さんに背中を洗われるような感じかも。三助さんなんて出会ったことないけども。

伊坂幸太郎「オーデュボンの祈り」と、R・シルヴァーバーグ「大地への下降」の、わたし的には、微妙な2冊だ。
物語に入ってゆければいいんだけど。なんとなく気が重いなぁ。
子供の頃の夏休みの課題図書みたいだ。そういえばその課題図書も読んだことなかったっけ。

冬陽

2010年12月10日 日常
午後二時の二階和室が心地良い。

低い太陽が、硝子越しに部屋の奥まで温かな陽を差し込んでくる。部屋が充分に暖まったところで障子を閉めてひざ掛けを用意して転がる。障子越しの光は柔らかくて優しくて美しい。
障子の小さな穴を塞ぐのに貼った花型の切り紙がふたつみっつ散っているのが楽しい。ベランダのオリーブがくっきりとシルエットを映す。ときどき雀の日向ぼっこまでが影絵になる。
冬陽のなかでまどろむ。心は平穏だ。

障子に橙色が濃く染まると至福の午後も終わり。
寂しい気分に襲われる前に、さあ、階下に降りてストーブに火を入れよう。



ペンキ塗り

2010年11月27日 日常
なぜお風呂が立てられなかったかというと、浴室の壁のペンキ塗りをしたから。

春先から予定して、父がいそいそとペンキを買い整えていたのだけれど、父の体調と私の休みと天気がなかなか合わなくて延び延びになっていた。私は父次第・天気次第なので、父が「やるぞ」と言ったら待ったなしでやるしかない。
まあ、ちょっとペンキ塗りって面白そうだし楽しみにしていたところもあるんだけど。
やってみたら?
ペンキ塗り自体は、面白いし楽しかった。でも、塗装の仕事はペンキを付けたくない部分の養生・マスキングと、古ペンキ落としの作業が七割以上を占める感じ。これが結構面倒だった。

でも、クリーム色に塗られた壁で浴室がとても明るくなった。
10年はもつな、と父も満足そう。

10年後は誰がやるんだろう・・? とちらりと思ったけど、まあその時はその時。考えないでおこう。
ひと仕事終わった後の銭湯は気持よかったしね。
銭湯で脱力
家の風呂がたてられなかったので、銭湯へ行った。

ごくごく普通の銭湯。ケロリンの黄色い洗面器が置いてあるような、そんな町場のお風呂。
ジャグジーとマッサージ風呂と、電気風呂にサウナ。塀に囲われた小さな露天風呂もあっていろいろ工夫してるんだけど、その工夫具合に哀愁が漂ってるんだなぁ~。でも、そこがすごくいい感じ。生活の続きのお風呂だからすごく脱力してて。それがそのままリラックスに繋がる。

最近多い天然温泉施設とかスーパー銭湯とかたまに行くけれど、アミューズメント施設の気配が濃厚だから、綺麗だし使い勝手もいいけれど遊びに行った後の気だるさが残る。
そういえば、私がひとりで温泉とかスパとか行くと言うと、驚く人が多いんだけど、なんでだろう。お風呂ってひとりで入るもんだと思うんだけども。そうか、家族連れとかカップルとか友達同士とかで行こうと思う人にとっては、うんやっぱり遊び場なんだね。

風呂場には、顔も体型も朝青龍そっくりのオバチャンがひとりいただけで、高い天井に響くカコーーンという桶の音がのどかだ。
電気風呂に浸かっていたら、オバチャンに「あたしは電気風呂は怖くてだめなのよ、すごいねぇ」と感心されてしまった。銭湯のご主人がやっと元気になったんでよかった(廃業が心配された)なんて話も問わず語りで聞く。そんなのも「ひとっ風呂」のいいリズムになる。
湯船に浸かって友人とお喋りしようとは思わないのにね。不思議。


啓蒙なんてものは必ずしもひとを幸せにはしないんだなぁ。
時々はみだしたりしながらも、閉じた世間で食って稼いで寝て過不足なしでいいじゃないか。そもそも、しあわせだの人生だの存在だのって、んなもん思う言葉があるからおかしくなる。
あーあ平成の世は莫迦ばかし。

睡魔

2010年11月22日 日常 コメント (2)
むっとして、かっとなって、ぎゃんと言って、ぶうっとなって、しおしおになる。

ああ、眠い。
ゆうべはたっぷりと眠ったのに。
なのに眠くて眠くて目が開けてられない。

母と揉めてはいけない。それは判ってること。
判っているから、ことさらに感謝感謝と唱えているのに。
文字通り他人行儀だなあ。

母と揉めると後を引く。
父に対するような、夫に対するような、関係への甘えが生まれてこないから、放っておいたら修復できないと思いつつ、どうすればいいのかわからない。わからないんじゃなくて、わかっているけど行動できない。

眠い。身体を横たえたい。

くだらないことだ。感情的になってしまった自分が情けない。母の物言いはいつだってああなんだから、なんで今朝に限ってささくれちゃったのかな、私。自分の大人気なさが情けなくてしおしおだ。

ああ、もう面倒臭い。眠い眠いねむい。
どうして厭なことがあると、眠くなるんだろう?
眠い、眠い、眠いよ。

ばっさり

2010年11月13日 日常
ばっさり
そろそろだな、そろそろかな、まだかな・・と、竹箒を握り締めて待っていたのに。
午後、帰ってみたら辛夷の枝がばっさりと打ち落とされていた。

まあね、落葉し出したら落ち葉掃きも毎日のことだし隣の家の敷地にまで落ちるからねえ。仕方ないか。まだモミジも残っているしね。さすがの父もこの時季にモミジを切ることはしないし。
でもなぁ、辛夷が一番葉が大きくて掃きやすかったんだよなぁ、、って、落ち葉掃きの認識が普通の生活感とズレてるな、私(笑)

切った枝をまとめながら立ち昇る樹皮と葉の匂いを嗅ぐ。植物の匂いはいい。
綿帽子を被ったまだ固い花芽がいっぱいついていた。
来春はあまり花は咲かない。

スウェード大好き

2010年11月12日 日常
秋と冬が交ざりあって移ろう11月のいま時分は、スウェードのものを身に着けたくなる。
スウェードの素材感が好きだ。表皮ほどハードではなく、古本屋の気配にしっくりと馴染む感じが。

15年くらい前に、古着屋で買ったスウェードのジャケットがある。古着屋といってもインポートのユーズドを扱うそのお店はとても質の良いものを置いていて、値段もそれなり。
そこで焦茶のスウェードジャケットを見つけた。三つボタンのごく普通のデザインなのだけれど、スウェードのなめしの柔らかさに参ってしまった。男物なので迷ったのだけれど、イタリア製のタイトな作りで、その頃は今よりは肩のあるデザインが流行っていたし、私もまだ若かったので、男物なんかも着られたのだ。値札を見たら、日本のデザイナーズの新品ウールコートくらいは買えそうで考えたけれど、袖を通してみたら、着心地のよさにこのまま着て帰りますと言うしかなかった。あ、もちろんつつんでもらって帰りましたが(笑)。
3シーズンくらい、私の11月をうきうきとした楽しいものにしてくれたけれど、細身ラインが流行るようになった頃から、ボックスシルエットは野暮ったく見えて出番がなくなった。流行なんて関係ない、と言ってカッコウ良く着るパワーもさすがにもうないし。

で、このスウェードジャケット、今は父が着ている。
父はこのうえなく痩せているので、厚手のセーターの上にもジャストサイズだ。ユニクロのスキニージーンズがちょうどいいストレートラインだし、これまたユニクロだけど愛用のブラックウォッチチェックのハンチングを被れば、なかなかカッコイイ爺になる・・・はい、娘馬鹿でごめんなさい。

でも、そのスウェードの感触はあまりに甘美で捨てられなかった。たぶん一生捨てられない。いつかまた着られる日が来るといいなぁ、と思いつつ秋になるたび撫でてしまうんだろうな。


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